『新幹線大爆破』

新幹線大爆破』(佐藤純弥監督、1975年)

倒産した町工場の社長(高倉健)、学生運動の元活動家で内ゲバを機に運動を離れた職工(山本圭)、集団就職で沖縄から上京して職を転々として町工場で拾われた若者(織田あきら)の3人が新幹線に爆弾をしかけた恐喝を計画。首尾よくカネを手に入れたならば、織田あきらはハーレーのオートバイを購入して世界旅行をしたいと言い、山本圭はもう一度人間を信頼するために革命をやり直したいと言う。工場が倒産して妻子にも逃げられた高倉健はブラジルにでも飛びたいなと言う。時速80kmより減速すると爆発するダイナマイトが仕掛けられた新幹線が走り続けるなか、緻密に練られたはずの計画はすこしずつずれていく。適宜、高倉健の回想シーンが入り、見田宗介の論文「まなざしの地獄」や中上健次の小説『十九歳の地図』を思わせる社会描写が事件の背景を構成する。北九州の工業地帯に入る前に田園地帯での爆破を迫る政府、犯人逮捕を優先する警察官僚の論理も描かれる。つなぎの高倉健、革ジャンの高倉健、ライトグレーの背広の高倉健、どれもかっこいい。

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伝統

普通伝統と申しますと、古いことになじんで、そうして古いことを大事にしていくのが伝統だとお考えになっておられる方が多いのではないかと思いますが、伝統というのはそういうものではなくて、自分の生活をどのように守り、それを発展させていくか、いったか、その人間的なエネルギーを指しているものであるだろうと思うのです。

宮本常一『日本人のくらしと文化—炉辺夜話—』河出書房新社、2013年、9頁 

 「伝統」とはたんにむかしのままに同じやり方をつづけていくことなのではなくて、おおきな政治や経済のうごきにゆさぶられながらも、そのなかでじぶんたちの生活をよりよくしていく運動のことをいう。「伝統の発明」の民俗学的解釈。

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『ぼくのバラ色の人生』

ぼくのバラ色の人生』(アラン・ベルリネール監督、1997年)「女の子になりたい」と夢見る少年リュドック。郊外住宅地への引っ越しパーティーの日に女装してあらわれて、両親、近隣住民たちを驚かせる。父親の職場のボスの息子と結婚したいと願うものの、周囲の大人たちはリュドを受け入れることができず、拒絶し、地獄に落ちると脅す。子どもたちもリュドを苛め、やがてリュドも家族も地域社会のなかに居場所をなくしていく。リュド少年に問題があるのではない。問われているのは、周囲の大人たちなのだ。

つめたさ

布団にはいるときのつめたさを感じる。冬。

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冗談

南相馬と二本松にボランティア・ツアー行った学生の話を聞く。関西では東北との距離感が遠く、日常的に被災地のことはすでに忘れられがちとなっているという、そのことの問題をかれは、福島を訪ねて感じたという。また、仮設住宅の住民たちが「ブラック・ジョーク」をしばしば口にしていたことが印象的だったとも。「ブラック」という表現が妥当かどうかはわからないけれども、消耗する環境のなかで冗談を言って笑いとばすしかない日常があって、そのことの際どい綱わたり的な感覚は外からはじめて訪れた訪問者にも何らか伝わるところがあるということ。東京オリンピックで浮かれてる場合じゃないのだ。

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